相変わらずシコシコと新作短編を書いている。去年の晦日に着手して順調に書き継いでいる。原稿用紙二〇枚には収まらないが、短めの短編になる予定である。とはいえ僕の今の工法はフレーズを思いつかないと書き進められないから、もうしばらくかかりそうだ。一月中の完成を目指したい。
こないだ本屋で文芸誌を立ち読みしたら町屋良平が批評を寄稿していて、ざっと目を通したが、正直あまり興味をそそられる内容とは言えなかった。町屋氏は彼なりに切実な動機があって書いたのだろうけど、鹿島田真希と青木淳悟を比較して──どちらも純文学作家である──エンタメ性の多寡を問うことに果たしてどんな意義があるのか、僕にはよくわからない。例えば物故した小説家で言えば大江健三郎は古井由吉より相対的にエンタメ性に富んでいたと言えるだろうが、そんな比較はこれまでもほとんどされて来なかったし、だれも有意義な議論だとは思わないだろう。町屋氏がその点にこだわるのは要するにエンタメ性が人気や売れ行きに直結しているからで、鹿島田真希と青木淳悟の中間くらいのエンタメ性の自作が商業性やポピュラリティその他の面をかんがみて総合的に賞賛に価するか否か(ご本人は価すると思っているに決まっているが)悩ましいと思っているのだろう。
僕は娯楽のつもりで小説を書いているが、拙作は日本にある既存のエンタメ小説や純文学小説のカテゴリに入るものではない。僕が娯楽小説を書いていると言っているのは、小説は元来娯楽だからである。修養や学問のために小説を読むやつが皆無とは言わないが、少数派であって、日本でいわゆる「文学」にそれに近い価値観がつきまとっているとしたら二〇世紀初頭このかたの近代日本の文学がいびつだからにすぎない。ところが、町屋良平の批評のどこを読んでも歴史的に成立した純文学に言及する気配は全くない(笑)。周到に避けている模様である。まあ気に入らない話をしたくないのは別によいが、その結果、町屋氏の批評は純文学界隈を主な活動場所(=経済拠点)とする書き手の自己承認欲求の所産を出ない。そんな話はどうでもよろしい。
僕もネット上で自己承認的なコメントを時々しているが、僕は小説が評価されるのは小説によってだけだと承知している。小説は小説として、批評は批評として評価されるほかないものなのだ。近年、批評家が小説を書くケースが目立つけれども、それまでの批評活動によって彼の小説が評価されるなんてことはあり得ない。もし小説そのものを読んで判断せずに、著名な批評家が書いたものだから小説もおもしろいにちがいないと思う人がいたとすれば単なる勘違いかアホな思い込みである。中村光夫が昔説いた通り、小説家による批評は自作の弁護のためになされる。僕の雑文も基本的に自己弁護である。それはそうだけれども、どれほど批評を書き連ねても自作の小説が輝くことはなくて、その批評じたいがおもしろいかどうかが詮議されるにすぎない。従って批評を書くことで自作の小説の評判が向上することはまずもってない。もしその文章が批評として読ませるに足るものだったら、この人は批評家としてなかなかですなと感心されるのが関の山なのだ。
町屋良平氏のくだんの批評は残念ながら氏を批評家としてなかなかのものだと感心させるには足らない。もちろん上記の理由によって、町屋氏の小説に対する評価を向上させることもない。結局、なんの役にも立たないただの退屈なエッセイになってしまっている。もし自作の小説への評判を向上させたいのであれば四の五の言わずにおもしろい小説を書くしかないのだ。自作の売れ行きを伸ばしたければエンタメ性に富んだ小説を書けばよろしい。他の純文学作家と自身の傾向や純文学界隈における立ち位置などを参照してあれこれ悩んでもヘタな考え休むに似たりで、そんなことは考えてもしょうがない。内輪の話として純文学作家同士が互いに承認し合う一助にはなるかもしれないが、世間一般の読者から見たら意図不明かつ読解困難な謎のテキストである。
町屋良平は別の文芸誌の座談会で──こちらはちゃんと読んでいないが──二〇一七年に文芸シーンの変化があった年だとするコメントをしていて、滝口悠生から当該年に変化があったとは感じられず、むしろそれは町屋氏自身が作家デビューした年であることに由来するパースペクティヴではないかとやんわり反論されていた。僕は文芸誌と純文学作家の小説を逐一読んできた人間ではないから文芸シーンの変化という観点について具体的な判断はしかねるが、もし一種の「時代の変化」が二〇一七年頃に起きたと主張されているのだとしたら、そんなことはだれにも同意できないであろう。河野多惠子が昔、小説家はみな自分が作家デビューした時点から時代が変わったと認識していると指摘していた。町屋氏のコメントもそのひとつにすぎない気がする。僕はそれ以前に、町屋氏が作家デビューするよりだいぶ前から日本における文学は衰退しており、もうだれも厳しいスタンスで小説に向き合わなくなっていたことを述べておく。柄谷行人が「文学の終焉」を宣言したのは二〇〇〇年代初頭だったと思うが、柄谷氏の認識は正しくて、実際にその時期から日本では一般的に言って文学の需要がなくなっていた。
文学が終焉したというのは文学というものの世間的なアウラが消滅し、文学を文学たらしめていた条件が日本のどこにも見当たらなくなったことを意味する。文学を文学たらしめていた条件とは社会にとって文学は必要なものだとする漠たる観念であり、その観念が多数派の国民に共有されていることである。そのような条件が日本には一九九〇年代半ば頃まで減衰しつつも生き残っていた。その後、文学をわがこととして受けとめる風潮は着実に風化して二〇〇〇年代には文学の終焉が顕在化してしまった。柄谷行人が「文学の終焉」を宣言したタイミングは時期的にまことに妥当であって、終焉以後も小説は存在し続けているけれど、文学はとっくに終わっているから一種の懐古趣味として──落語や歌舞伎、狂言などの伝統芸能が享受されるような享受形態で──読まれるか、あるいは漫画や映画などの他のコンテンツと変わらない娯楽たらざるを得ない。町屋良平は文学が終わった後にデビューした作家なので、彼が今「文学」を志向することに社会的な必然性はなにもない。出版社は依然として純文学を中心とする小説家に書く場所を与える文化事業を継続しているが、システムとして存続しているだけで、日本社会に文学の需要は無い。それが昨今の現実なのだ。
僕は一九九五年に阪神淡路大震災とオウム事件が起きてそれまでのバブル期のムードがようやく一掃されたことを経験している世代である。その時期に時代が変化してきたなと感じた。だがそれは文学の終わりの始まりでもあった。当時の変化からざっと三〇年経過しているけれど、この三〇年間に時代が変化したと感じたことはない。東日本大震災やそれに伴う原発事故など国民を動揺させる出来事はあったものの、人間と時代が変わったという実感はなかった。どうやら今後も当分、時代は変わらなさそうである。それが良いことか悪いことかはわからない。ハッキリ言えるのは文学はとっくの昔に終わっており、復活する兆しはないということだ。
僕はこれまでも今後も小説を書いていくし、文学というか文芸についてなんらかの発言をしていくだろうが、かつてあった文学はすでに終わっていることを前提にそうしているのである。今までの僕の発言と創作を文学の再興を目指すもののように解釈する人がいたら、それは間違いですと言っておく。文学は決してよみがえらない。町屋良平がくだんの批評を文芸誌に発表していることじたいが、文学が終焉した後の現実の証左である。純文学作家同士の立ち位置の内輪の確認めいた批評など、一九九〇年代に大っぴらに書く人はいなかった。町屋氏の批評はむしろエンタメ性を取り沙汰している点で、文学の終焉後の文芸の現状を如実に感じさせる。つまり読者がおもしろがるものでないと小説は立ち行かない。版元に文化事業として庇護されている純文学作家も現実とのギャップを意識せずにいられない状況があるのだ。小説は実質的に漫画やアニメや映画などのコンテンツと同じものであり、文学などと偉そうな幟を立ててももはや世間を説得する力はない。
僕は文学の終焉以後に出てきた純文学作家たちの作品が、文学を成り立たしめる条件が全く無いところで擬似的に演じられる「文学ごっこ」にしか見えない。僕が既読した町屋良平の作品のなかで一篇を挙げる。『恋の幽霊』(二〇二三年)は数年前の作品で、「小説トリッパー」誌に連載された。媒体の傾向を配慮してか、他の町屋氏の作品よりもわかりやすい青春物である。地方都市に暮らす複数の若い男女からなるグループの人生を描いたもの。人付き合いの苦手な若者たちが互いに恋をして、また失恋してといったことを繰り返すさまが語られるが、ちょっと引用する。
《 土がおれに怒濤の告白をしはじめた、四回目か五回目の夜だった。
「おれ、しきのことがすきだ。だいすきだ」
といった一回目は、ふつうに無視をした。だけれども告白のラッシュがはじまってからのほうが土はおれと距離をとって、ことばではしあわせな、恋のきもち?をすごくぶつけてくるのに身体の距離がとおい。それまでとはまったく逆で身体はとおいのに、心はすごくちかくなっちゃった。》
口語的表現の多用については昔からやられてきたことであり、ありふれている。この小説は今の若者が話すような言葉遣いを地の文にまで持ちこんでテキストを構成していくことを企てているようだが、思弁を並べただけのようなこの文章からはフィクションのおもしろみが少しも立ち上って来ない。ポップソング──むろんJポップである──からサウンドとメロディなどの音楽を取り除いて歌詞のみを残したような様態で、町屋良平は詩が好きな人かもしれないとも思う。しかし小説にするなら場面を演出する工夫を色々と施したほうが良かろうと思う。作中人物の気持ちばかりぶつけられても、そのへんに小石を投げればいくらでも当たる平々凡々な俗人の世間話にしか見えない。薬をやる俗人も憂鬱症の俗人もリスカをする俗人もありふれている。だからこの小説は読者の「共感の地平」に訴えることを目指していると思えるが、文学が終焉した後になると、かくも無芸なメンタリティの垂れ流しさえもが「文学」の一言語と見なされてしまうのかという驚きと脱力を同時に覚える。
悪いことばかり並べるのはナンだから付言すると『恋の幽霊』は僕が読んだ町屋良平の作品のなかではかなり読みやすく、僕は作中人物に共感できないが、筋を追うのも楽だし、エンタメ性はそれなりにある──ただ、ポップソングの詞を並べたような興趣の小説だったら大しておもしろくはないけれど、町屋氏よりもっと若い今二十歳そこそこや二〇代の書き手のほうが徹底しており、「文学臭」を漂わせなければという動機からも解放されて、一層単純明快になっている。いわばすでに広汎な人気を獲得し定評のあるポップアイドルに提供された楽曲より、yoasobi の楽曲のほうがラディカルに聴こえてしまうのに似ている──しかし、いずれにしても『恋の幽霊』の作中人物には小説のキャラクターとしての魅力が乏しい。それはいかんともしがたい。地方都市で暮らす若い男女グループの話、という題材から必然的に村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を連想するが、人物の属性のちがいを考慮しても、どう考えても『多崎つくる』の作中人物のほうが魅力的なのだ。小説としても春樹のほうが遥かにおもしろい。キャラクターが魅力的じゃないと読み続ける気が途中で失せてしまう。僕は辛抱してなんとか『恋の幽霊』を読み通したのである。
町屋氏は、エンタメ性を追求するならもっと別の表現にそれを見出すべきだと思う。文学は終わっており、僕らはおもしろいコンテンツを求める読者を相手にするしかない。文学性をかつてあった社会的条件ではなく芸術性という意味で解するのであれば、読んだ人を小説を読んだのかなにを読んだのかわからないくらいの気分にさせて欲しい(氏の『私の小説』みたいな小説とエッセイの中間的散文という意味で言っているのではない)。読んでびっくりさせられなければ小説ではない。小説が歩むべき道は古今東西、それしかない。
時代の変化について再度言うと、町屋氏がデビューした二〇一七年に変化や断層はなかったし、今世紀に入ってから一度たりともドラスティックな変化は起きていない。もし仮に僕の小説が書籍化する日が来たとしてもそれによって時代が変わることはないと断言できる。近い将来、日本語が滅びて日本語で書かれた小説が読まれなくなると予測する人がいるようだが、話者人口が一億人を超える日本語が滅びるとしたらポーランド語やチェコ語はどうなるんだと思う。僕は時代が変化することを望んでいないのではない。若い頃はそれこそ、いつ変わるかとワクワクしながら変化を待ち望んだものだ。しかしどうやらたやすく変化は起きないようである。文芸シーンというか出版業界が商業面においてなんらかの変化をこうむる可能性は大いにある。僕は書籍を廃して全面的にウェブで売買されるようになってもよいと思っている。そのほうがだれにとっても手軽だし、障害者の人のなかには本のページをめくって読むのが困難な人もいるからだ。重々しく立派な本をありがたがる時代は終わっている。だれにでも利便性を享受できる変化は、時代が変わろうと変わるまいと、早急に実現されるべきことだと思う。
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補記。僕が雑文のなかに用いる「おもしろさ」という語の定義がイマイチよくわからない人がいそうなので、説明する。僕自身が特定の作品を「おもしろい」と表明する場合、それは小説としておもしろいという意味である。上記でいえば町屋良平の『恋の幽霊』より村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のほうがおもしろいと言うのは春樹のほうが小説としておもしろいという意味で記したのである。
ただし、一般読者が「おもしろい小説しか読みたがらない」と言う場合は「おもしろい」の意味は多義的であって、エンタメ性をおもしろがる読者もいるだろうし、僕の意見と等しく小説としておもしろいと感じる人もいるだろう。もちろん僕がおもしろいと思う作品をそう思わない人も少なくないにちがいない。
僕自身がある作品を評するときに「おもしろい」と言うのはエンタメ性に富むという意味ではない。小説またはフィクションとしておもしろいという意味である。一般的には「芸術的に優れている」と形容したほうがわかりやすいとは思うが、僕はフィクションの諸分野を芸術に組み入れることにひとまず保留している立場なので、それをあまり言わないだけである。